古代 大学受験 日本史 飛鳥時代

【”摂政”聖徳太子、爆誕】飛鳥時代・政治編 ~Part.1~

推古天皇

推古天皇となる前のお話

 

『推古天皇』とはいっても、生まれながらに”天皇”って呼ばれるわけではない。

元々は『額田部皇女』と呼ばれて、”皇女”、つまり天皇の娘やった。

お父さんは『欽明天皇』。

仏教が日本に伝来した時の天皇やね。(【仏教、来る】古墳時代・政治 ~後編~

 

ただ、当時の天皇は何よりも子孫を残さなければいけない。

やから、現代と違って奥さんがいっぱいいた。

当然、腹違いの兄弟がたくさんできる。

『推古天皇』となる前は『額田部皇女』っていう名前の皇女。

………。

長いからここでは”たべちゃん”で通すね。

 

たべちゃんは、『敏達天皇』の皇后になる。

ええ話やん!って思うかもしれんけど、この『敏達天皇』、まさにその腹違いの兄弟。

しかもその年の差、なんと16歳!!

18歳のときに34歳の人と結婚したとされてる。

 

…………。

 

なかなかに、なかなかやね。

まあ年なんて関係ないし、腹違いの兄弟だろうがもちろん気が芽生えないわけでもないかもしれんから、たべちゃんの本心は本人に聞いてみないことには分らんけど…ね。

 

しかも『敏達天皇』はどちらかというと仏教をあまり快く思っていなかった。

後に聖徳太子を摂政にして、仏教を盛り上げていくたべちゃんとは、あんまり相性が良くなかった気もする。

 

とはいえ、二人の間には7人の子どもが授かる。

『日本書紀』には、めちゃ美人やったって記載もあるから、考え方が合わんくても、それなりのことはするのね。

 

そんな『敏達天皇』は若くして崩御する。

若くしてっていうけど、現代みたいに医療制度が整ってるわけでもないし、寿命も今ほど長くはないやろうから、当時の感覚で若いかどうかはわからん。

48歳って説が有力っぽいけど、48歳で亡くなるのは当時としてはどうなんやろうね~

 

『敏達天皇』が崩御すると、たべちゃんのちゃんとした(?)兄弟である『用明天皇』が即位する。

 

と思いきや、たったの2年で崩御。

次に天皇に即位したのは『崇峻天皇』。

 

そう。

【仏教、来る】古墳時代・政治 ~後編~で『蘇我馬子』の命令で暗殺された、あの『崇峻天皇』。

ちなみに『崇峻天皇』も、たべちゃんの腹違いの兄弟。

 

この時代は昼ドラもびっくりなほどドロドロやね…

たべちゃんの意向で天皇に即位するんやけど、馬子に目をつけられて暗殺されてしまう。

でも『崇峻天皇』って馬子の甥やで…

自分の甥すらも暗殺するなんて………

 

まあそんなこんなで、蘇我一族の暴走を誰も止められなくなりそうな状況で、たべちゃんは天皇に即位する。

自分が推した人が暗殺されたら、もう自分がなるしか!って思ったのかな……

 

日本史上最初の女帝

 

というわけで、たべちゃんは天皇に即位。

晴れて、『推古天皇』となる。

容姿端麗で、蘇我一族を抑え込もうと兄弟を天皇に推したりもした、政治力のある強い女性。

(こういう人に総理大臣になってほしい……)

 

『聖徳太子』を『摂政』に

『推古天皇』で最も有名なのは、『聖徳太子』を『摂政』にしたこと。

詳細は後述するけど、ただでさえめちゃくちゃ頭のキレる『推古天皇』が、これまためちゃくちゃ頭のキレる『聖徳太子』を『摂政』、つまりサポート役に任命したわけやから、このタッグは最強。

ちなみに、この『聖徳太子』は『推古天皇』の甥。

さっきも出てきた、ちゃんとした(?)兄弟である『用明天皇』の息子。

 

自分の近い親戚で、なおかつ頭のキレる人をサポートに置くことで、蘇我一族の暴走を抑え込もうとしたんやね。

実際、『推古天皇』は馬子が土地を望んだ時も、「私の叔父さんやからと言って公私混同しないで。」的なことを言って退けてる。

公私混同しない政治家、大事。

 

『遣隋使』の派遣

『推古天皇』の偉業で他に有名なのは、『遣隋使』の派遣。

日本は弥生時代の頃から、頻繁に大陸の王朝に使者を送ってきたわけやけど、もちろんこの時代も同じ。

 

じゃあ何が偉業かって?

今までとは明らかに異なる関係性を築いたから。

 

『推古天皇』は使者として、『小野妹子』を派遣する。

使い古されたネタやろうけど、”妹子”やからって女性ではない。

「~子」が女性を表すようになったのは奈良時代以降。

それで言うと、『蘇我馬子』だって女性になってしまう。

 

でもなんで”妹”って字が使われたのかは、いまだに謎らしい。

当時としてもやっぱり”妹”は女性を表してたっぽいし…

 

本題に戻ると、

今までの大陸への使者は基本的に、『朝貢』って形やったね。

「東の方の小さな島でなんとか国を作ってます…!よろしくです…!」ってな感じで舎弟になってた。

 

一方、『推古天皇』は『小野妹子』に親書、つまり天皇からの手紙を託す。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや、云々」

あまりにも有名な一節。

かみ砕くと、「太陽の昇る国の天皇が、手紙を太陽が沈む国の皇帝にお渡しします。ごきげんいかが~?」ってな感じ。

 

この手紙で『隋』の皇帝『煬帝』は激怒したらしいんやけど、

その理由は、

「どちらも対等な”天子”と表記したから」とか、

「皇帝の国を”太陽が沈む”と表現したから」とか、

色んな説があるみたいやから、そこは深くは掘り下げへんけど、皇帝のご機嫌を取って、金印やら位やらを欲しがってたあの頃とはもう違う。

「うちもちゃんと王朝を作って国としてしっかりやってますさかいに」的な自信がうかがえる。

 

まあ当時の『隋』も不安定やったから、ちゃんとしてますアピールをしてきたやつに強くは出ないほうがいいやろって考えたんかもしれんね。

初めて『答礼使』、つまりお返事を持って使者がやってくる。

その名は『裴世清』。

 

ちなみに、この”裴”って字がもとになって、”裵”って字ができたらしい。

この”裵”は”ぺ”って読む。

そう。

『冬のソナタ』で一躍大スターになった”ペ・ヨンジュン”の名字の、あの”ぺ”。

もしかしたら、ヨン様は『裴世清』の子孫かもしれんね。

知らんけど。

 

そんな話は置いておいて。

 

初めてお返事の使者が日本に来たことで、今までとは違った大陸王朝との関係性がうかがえる。

わざわざ正式に皇帝から海を渡ってまで使者が遣わされたんやからね。

 

そんで『推古天皇』はもう一度、『小野妹子』を『隋』に派遣する。

今度は『旻』、『南渕請安』ってお坊さん二人と、『高向玄理』って留学生を付き添わせた。

 

目的は大陸の文化を学ばせること。

 

これまで日本は大陸から渡ってきた知識人、いわゆる渡来人のおかげで新しい技術やら仏教やらを取り入れることができてたんやけど、

さらに国が発展するには、自分たちが動かなければ!って思い立って、日本から学びたい人たちを派遣した。

 

やっぱり今までの大陸王朝との関係とは全然違う。

 

つまりは、『推古天皇』は日本がさらに発展するための基礎を作った人ってこと。

偉大…!!

 

聖徳太子

 

ザ・パーフェクトヒューマン

 

さて皆さんご存知、『聖徳太子』。

日本人で知らない人は確実にいないでしょう。

 

『聖徳太子』はあまりにも神格化というか、偉大な人物に表現されすぎて、どこまでが本当で、どこからが嘘か分からないような数々の逸話が存在する。

例えば、

「一度に10人の悩みを同時に聞いて返答した」とか、

「未来を予知できた」とか、

それはもうもはや人間ではないやろうと。

 

最近の研究では、『聖徳太子』ってのは後世に伝説として作られたフィクションやって言われてるから、まあそういった人間離れした能力は実際にはなかったんかもしれん。

夢はなくなるけど…

 

とはいえ、『聖徳太子』のモデルになったであろう人物はいた。

それが『厩戸王』。

『推古天皇』のちゃんとした(?)兄弟である『用明天皇』の息子。

つまり、もしかしたら『用明天皇』の次の天皇に即位してたかもしれない人物。

 

なんでそんな高貴な人の名前が”厩戸”かっていうと、単純に馬小屋で生まれたから。

古代の人々のネーミングセンスにはホトホト付いていけない…

 

もちろんボンクラな人物やったら、伝説を色々付けようものなら、

「いやいや、あの人はそんなすごい人ではなかったよ」とか、多方面から文句を言われるやろうから、やっぱりすごく頭のキレる優秀な人ではあったんやろうな。

後述するけど、日本の政治に革命的な変化をもたらした人物やし、伝説とまではいかないまでも、神格化されるほどの手腕を発揮していたに違いない。

 

人々はヒーローを求めたがる。

偉大な人は色んな伝説をつけられて、歴史上のヒーローになるもんなのよ。

 

出自も高貴で、信仰心に厚く、大陸の王朝相手にも堂々として、政治の腐敗を正して公平な政治体制を作ろうとした。

これぞ、パーフェクトヒューマンと呼ぶべきお人。

 

ところで、この”馬小屋で生まれた”って事実と、人間離れした伝説はどこかで見た気がする。

世界三大宗教の一つ、キリスト教の創始者、『イエス・キリスト』。

彼もまた、馬小屋で生まれたと言われていて、さらに人間離れした伝説が語り継がれている。

 

この偶然の一致は鳥肌ものやね。

次生まれてくるときは、ぜひとも馬小屋で生まれたい。

 

摂政就任

 

パーフェクトヒューマンこと『聖徳太子』は、『推古天皇』の摂政となる。

上でも述べた通り、『推古天皇』からしても、自分の甥をサポート役に置いて、一緒に政治することで蘇我一族に対抗できるやろうし、何より一人で決断するより安心やしね。

 

てなわけで、”摂政”『聖徳太子』の業績について見ていこう。

 

摂政って何?

 

そもそも『摂政』って何ぞやって話よね。

『摂政』は書き下すと、”政を摂る”、つまり政治を行うってこと。

 

この時代、政治の全権は本来は天皇にあるんやけど、

たとえば、天皇が幼かったり、女性やったりで、臣下のおっちゃん共にいいように転がされそうなときとか、決断に不安があるときに、代わりに政治を行ってくれるサポート役のことを『摂政』っていう。

一方で、後々出てくるけど、天皇が一人前の大人になっていたり、天皇自身がおじさんやったりしても、優秀な臣下がいたり、やっぱり自分で決断するには不安が残る場合に、政治のサポートをしてくるのが『関白』。

 

っていうのが建前。

あくまでも建前。

『聖徳太子』は清く正しい人やから、身分を悪用したり、そんなやましいことは微塵も考えてなかったやろうけど、

後世では、『摂政』や『関白』の位を利用して、権力をほしいままにする輩も出てくる。

それはまたいずれの記事で。

 

ともかく、『摂政』ってのは、そういう感じで天皇の政治のサポートをする役職。

 

『冠位十二階』の制定

 

そんな”摂政”『聖徳太子』が制定した制度に『冠位十二階』がある。

 

【ヤマト政権の仕組み】古墳時代・政治 ~組織編~で、『氏姓制度』について解説したんやけど、

ヤマト朝廷はとりあえず政権内を管理するために、『氏』と『姓』を与えて、豪族たちに身分を授けて統治しようとした。

つまり、代々の身分で役職も自動的に決まってたわけ。

 

『聖徳太子』はこれに異論を唱える。

「あれ?あいつ、先祖のおかげでいい身分についてるけど、仕事できなくね?」って。

(もちろんこんな口調ではない。)

「んじゃあ、実力で位を決めた方がよくね?」って。

 

”年功序列”って日本古来の風習みたいに言われて、アメリカ型の実力主義にしようぜ!って流れが近頃見られるけど、

1000年以上も昔に『聖徳太子』は、実力主義の制度を整えた。

 

欧米よ、これが日本だ!!

 

具体的には、それぞれの実績に応じて12の位を与えることにした。

 

まず6つの水準に分けて、

 

その中で大と小に分けた。

 

んでもって、その6つの水準を色分けして、

 

その中の大と小を、濃い色と薄い色で分けた。

(濃い白、薄い白ってなんやねん……そんなん表現できひんわ……)

 

”冠位”っていうくらいやから、豪族がかぶる『冠』っていう名の帽子みたいなやつの色で位が一目で分かるようにした。 

 

『聖徳太子』、すげぇ~~!!ってなるやん?

でもね、そう簡単に事は進まない。

 

『崇峻天皇』を暗殺したあの『蘇我馬子』さん。

これで抑え込めるかって思ったら、なんと馬子さんは”大徳”の上!!

えっ……

”大徳”って最も高い位やなかったの???

天皇を暗殺するようなやつが、”徳”を超えるなんて…

徳のかけらもないやつが……

”得”の間違いでねえか?

 

まあ、今まで生まれた身分のせいで上の位に着けなかった人たちからすれば、めちゃありがたい制度やねんけどね。

さすがにポンポンと事は上手くいくわけではない。

 

とはいえ、1000年以上も昔に、今でもやってほしいような制度が整えられたっていうのは、やっぱり『聖徳太子』は偉大…!

 

『憲法十七条』の制定

『聖徳太子』の偉業でもう一つ有名なのが、『憲法十七条』。

これは『冠位十二階』で登用された官僚を含めて、全ての豪族が守らなければならない”道徳”を記したもの。

 

”憲法”っていうと法律とか堅苦しいように思うかもしれんけど、

分かりやすく言えば、「こんな感じの気持ちで、みんながんばっていきましょ~!」ってなもん。

 

第一条は、おそらく誰しもが知ってる、

「和を以って貴しと為し、忤うことなきを宗とせよ。」

ってやつ。

要は、「みんな仲良くしてね~喧嘩したら容赦しないよ~」っていうこと。

 

第二条は、

「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。」

これは、「3つのことを大事にしてね!その3つは、仏さんと仏さんの教えとお坊さんね!」っていうこと。

”国教”とまではいかないまでも、国を挙げて仏教を盛りあげていこうね!っていう『聖徳太子』からのお願い。

 

第三条は、

「詔を承りては必ず謹め。」

”詔”っていうのは天皇の命令のことやから、「天皇の言うことは絶対聞いてね!さもなくば…」って感じ。

蘇我一族を抑え込みたい気持ちが漏れ出してる気がするのは気のせい…?

「政治は天皇中心やからね!臣下が私物化しないでね!」っていう切実なお願い。

 

現代の憲法みたいな、”あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ”ってな感じの法律ではないんやけど、

それでも、国家の基本原則みたいなものを、ちゃんと文に書いてみんなに示したのはこれが初めて。

『聖徳太子』はなんでも初めてがお好きね。

 

『天皇記』『国記』の編纂

 

『聖徳太子』は制度や道徳を整えるだけやなくて、歴史書の編纂にも積極的やった。

っていうのも、『遣隋使』を送って、大陸の王朝とも対等な関係を築けるような国家にするのがヤマト朝廷の目標。

ちゃんとした国家にはちゃんとした歴史書が存在する必要がある。

「うちの国にはこんな歴史がございまして~」とかなんとか言って、自分の国がしっかりとした国であることを証明するため。

由緒正しくない、ポッと出の国は当然相手にはしてもらえない。

 

ちなみに、『天皇記』も『国記』も焼失やら何やらで現存してないから、中身は確認しようがないんやけど、名前からして歴史書っぽいし、後で出てくる『日本書紀』にも記述があるから、たぶん存在はしてた。

 

そんな感じで、『聖徳太子』は『推古天皇』とともに、日本を一人前の国家にすべく努力してたんやね。

  

仏教愛が止まらない

ザ・パーフェクトヒューマン『聖徳太子』が愛してやまないもの。

それが仏教。

 

『聖徳太子』のおじいさんである『欽明天皇』の治世に日本にやってきた仏教に、『聖徳太子』は幼い頃からご執心やった。

 

崇仏派 VS 廃仏派の戦いである、蘇我氏と物部氏の乱にも幼いながらに参戦するほど。

【仏教、来る】古墳時代・政治 ~後編~

戦の前に『聖徳太子』が四天王に勝利を祈ったと言われる。

それで勝ったから、『聖徳太子』はお礼に『四天王寺』を建立した。

 

他にも、全豪族が守らなければならない道徳を記した『憲法十七条』にも、

その第二条に「仏教を大切にしなさい」的なことが記されている。

自分の愛する仏教を大切にすることを基本道徳にするとは、『聖徳太子』も少し自己中な感じもするけど…

逆に人間味が感じられていいのかな…?

 

そんな仏教愛が止まらない『聖徳太子』のおかげで、飛鳥時代には仏教関連の文化が大きく花開いた。

”摂政”様が保護する宗教やからね。

気兼ねなく、隠れることもなく、堂々と発展できる。

(そのせいで憶えることが多いんやけど)

詳しいことはまた別の記事で。

 

聖徳太子の死

 

完璧超人『聖徳太子』も人の子。

死は誰にでも訪れる。

仏教をこよなく愛していても、伝説的な話を残そうとも、人は死から逃れることはできないのである。

 

享年、48歳。

なんと『敏達天皇』と同じ歳で亡くなる。

なんたる偶然……

上でも言ってたけど今の感覚で考えると、だいぶ若くして亡くならはった。

英雄が若くして亡くなるのは世の常やね。

『蘇我馬子』は75歳、『推古天皇』も74歳まで生きたはるから、当時としても若かったやろうね。

(この二人が長寿なだけなんか……?)

 

しっかりとした国家を作ろうと努力してた人が亡くなると、当然国家は傾き始める。

『聖徳太子』が亡くなることで、馬子を抑えられる人がいなくなって、蘇我一族の暴走が始まる。

馬子は『聖徳太子』が亡くなった4年後に亡くなってるから、暴走したのは馬子の子と孫。

 

その話はまた次回。

 

 

まとめ

 

『聖徳太子』という、日本史に燦然と輝く英雄の登場で、日本は国家としての一歩を歩み始める。 

もちろん、彼を『摂政』に任命した『推古天皇』の頭も抜群にキレた。

 

こういった優れた先人たちのおかげで、今の日本が存在するんやね。

 

それに、『聖徳太子』の教えは今の日本人にもしっかりと受け継がれている。

大災害が起きても、復興が早かったり、国民が暴徒化せずに冷静な対応をできるのも、『憲法十七条』の第一条が、日本人の心に深く刻み込まれてるからとか言われたりするしね。

 

ただ、英雄も不死身ではない。

英雄が亡くなると、よからぬ輩が勢力を増してくる。

 

次回は『聖徳太子』亡き後の蘇我親子の暴走を解説する。

 

でもまあ、時代は繰り返す。

混沌の後には、また英雄が現れるもんよね。

おすすめ記事

-古代, 大学受験, 日本史, 飛鳥時代
-, , , , , ,

Copyright© NOINY BLOG , 2021 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.