大王

【ヤマト政権、興る】古墳時代・政治 ~前編~でやった通り、ヤマト政権は連合政権。
つまり、無理やり敵対する国をつぶして飲み込んでいったのではなく、
「争いやめようぜ~!」って平和的に集まった政権。
実際はどうかわからんけどね…
そんな平和的な連合政権にも、トップは必要。
まとめ役がね。
そのまとめ役となった政権のリーダーを『大王』という。
読み方は”オオキミ”。
これもヤマト政権、興る】古墳時代・政治 ~前編~で出てきたけど、『雄略天皇』を指した名前、『ワカタケルオオキミ』の”オオキミ”。
つまり、この『大王』が後の『天皇』と呼ばれていくわけやね。
そんな『大王』を中心としたヤマト政権は、これまでの色んなクニが入り乱れていた日本をどんどんまとめていって、今の日本の基礎を作った。
とここで、これまで通りではうまくいかないことが出てくる。
政権に加わる人も地域も、これまでとは比べ物にならないほど多く、大きくなっていた。
そこで、ヤマト政権は政権の組織運営を迫られる。
まあビジネスで考えると、
一人で事業主になったぞ~!
⇓
儲かってきたぞ~!
⇓
人を雇うことにしたぞ~!
⇓
人が増えてきたな~
⇓
会社を立ち上げたぞ~!
⇓
人材をそれぞれの部署に割り当てて、役割分担しなきゃ!
ってな感じ。
そんなわけで、ヤマト政権が整えた組織・制度を詳しく見ていこう。
氏姓制度
まずは『氏姓制度』。
政権内に増えた人たちを、職業とか役職とかよりも、まずはそれぞれの一族の身分で管理しようとした。
氏
『氏(うじ)』ってのは、そのまま。
今でも、“○○さん”っていうところを、ちょっとかしこまった言い方で、”○○氏”って呼ぶよね。
安倍総理のことを、”安倍氏”みたいに。
『氏姓制度』での『氏』もそれと同じ。
同じ一族の集団を”○○氏”って呼んで、政権内に増えた人たちをうまく管理しようとした。
姓
これが紛らわしい。
なにが紛らわしいって、この『姓(かばね)』って漢字は占いの”姓名判断”とかにも使う通り、”苗字”を表している。
あれ…?『氏』も苗字を表してなかったっけ?
そう。
現代の語感から考えると、どちらも苗字を表していることになって、わざわざ分けてとらえる必要がなくなってしまう。
恥ずかしい話、筆者も初めて習った頃は、なんで『氏』と『姓』の二つを分けて考えなきゃいけないの?って疑問に思っていた。
それで分けずにとらえてたから、この『氏姓制度』について、何が何だかさっぱりわからなかった。
やからここでは、現代の使い方は忘れて、あくまでもヤマト政権で『氏』と『姓』がどう扱われたのかを理解してほしい。
まず『氏』で、一族ごとに分けて管理したね。
でもただ分けただけではただの戸籍。
何のために分けたって、政権内の管理、つまりそれぞれに身分を与えて序列をつけるため。
”君の一族はヤマト政権の成立に貢献してくれたね~”とか、

”君の一族は戦いに強いよね~”とか、

そういうそれぞれの一族ごとの強みとか、政権への貢献度を元に、それぞれの一族に身分を与えた。
その”身分”が『姓』。
そのおかげで、”うちの一族は代々大王の側近だ”とか、”うちの一族は代々軍事関係に特化してる”とか、増えてきた人材をうまいことまとめたってわけ。
まだまだ日本って国が生まれるか生まれないかくらいの時期。
そんな初期に、試験制度を整えたり、教育機関を作ったりなんて、そこまで手が回らない。
やから、それぞれの一族に、責任を持って一族をまとめてもらおうとしたんかな。
氏 | 姓 | |
蘇我 | ⇒ | 大臣 |
大伴 | ⇒ | 大連 |
物部 | ⇒ | 大連 |
葛城 | ⇒ | 臣 |
中臣 | ⇒ | 連 |
地方有力豪族 | ⇒ | 君 |
地方一般豪族 | ⇒ | 直 |
『氏』と『姓』の対照表はざっとこんな感じ。
他にも、『造(みやつこ)』、『首(おびと)』、『史(ふひと)』、『村主(すぐり)』、『忌寸(いみき)』なんて『姓』もあるけど、
とりあえずは、『氏』っていう一族の集団ごとに、『姓』っていう身分が与えられたってことを理解してくれたらいい。
表を見てもわかる通り、同じ『臣』って身分にも”大”がついてるものと、そうでないものがある。
畿内の有力豪族に与えられた『臣』の中にも、さらに有力、というか絶大な力を持った一族がいたってことやね。
地方組織
埼玉県は稲荷山古墳出土の鉄剣を見てもわかる通り、畿内にあったヤマト政権の統治が関東にまで届いていた。
とはいえ、まだまだ”政治”は始まったばかり。
地方をまとめるって言っても、地方の豪族を取り込んだって程度。
結局のところ、各地方の豪族に地方政治は丸投げ。
そこで、とりあえず地方豪族を飼いならすために、
さっきも出てきた、“君”とか”直”といった『姓』、つまり身分を与えて、
プラスで『国造(くにのみやつこ)』とか『県主(あがたぬし)』といった“職”に任命した。
字を見てわかる通り、今でいうところの都道府県知事ってところ。
そうやって、「離れてるけど、君らもヤマト政権のメンバーだよ~」って認めてあげることで、上手いこと手の平でコロコロしてた。はず。
知らんけど。
職人集団
国内の政治が安定し始めると、文化も安定して成長できる。
死ぬか生きるかの時に、落ち着いて焼き物なんて焼けへんやん?
まあ…生粋の職人は焼くんかもしれんけど…
ってなわけで、具体的に何を作ってたのかは別記事で解説するとして、
ここではその職人たちをヤマト政権がどのように管理したのかを解説する。
職人を管理って…って思うかもしれんけど、当時の文化レベル底辺な日本にとって、焼き物しかり、織物しかり、鉄器しかり、優れた物を自分たちの手で作り出すことは、大国とまともに交流していく上で大事なわけで、国家レベルの事業やった。
大陸の王朝に献上する品もまともに作れないようじゃ、”アウトオブ眼中”やからね…
あ、これ死語か…
品部
職人集団のことを『品部(しなべ)』と呼んだ。
それぞれの『品部』が担当した仕事は表の通り。
品部 | 従事した仕事 | |
陶部 | ⇒ | 須恵器の製作 |
土師部 | ⇒ | 土師器の製作 |
錦織部 | ⇒ | 絹織物の製作 |
韓鍛治部 | ⇒ | 鉄器の製作 |
鞍作部 | ⇒ | 馬具の製作 |
伴
そして、こういった『品部』を率いたのが『伴(とも)』。
厳密には、同時期にこういう風に組織化されたわけやなくて、渡来人が言葉やら概念やらを持ち込んでくる過程で、順々に組織化されて名前が割り当てられていったっぽいけど、そんな細かいことは大学に入って勉強してください。
伴造
そんでもって、その『伴』たちをさらにまとめるリーダーが『伴造(とものみやつこ)』って呼ばれた。
国、つまり各地方を任されたのが『国造』やったから、
『伴』たちの管理を任されたのは『伴造』。
この『伴造』を率いたのが、『連』。
つまり、大伴さんとか物部さんが与えられた『大連』って身分は、こういった職人集団を率いる立場ですよってこと。
だって『氏』が”大伴”やで?
伴を率いるために生まれてきたって言っても過言じゃない。
”部”ってあるから、わかりやすく現代風に言うと、
『○○部』って部活がいっぱいあって、
それを率いる部長が『伴』って呼ばれてる。
その部長たちを束ねる体育会長が『伴造』。
ほんで、全国体育会連盟?的な会長が『大連』って感じかな?
合ってるんかなこれ…笑
土地管理
中央政体的なものが出来上がると、土地は政府のものになる。
それが世の常。
現代においても、日本国内のすべての土地は日本国政府のもの。
民主政治が始まるよりも昔は、こういった土地はまず権力者に優先的に配られる。
大王の土地と民
屯倉
権力の最たる存在、『大王』。
その『大王』にあてがわれる土地を『屯倉(みやけ)』と呼んだ。
田部
土地って言っても、こんな昔に土地を使ってやることって言ったら、田んぼを耕すことくらい。
その田んぼを耕す人々、『田部(たべ)』も支給された。
この”部”ってのも、さっき解説した『品部』の”部”。
“田んぼを耕す専門的な職人”っていう位置づけ。
名代・子代の民
ちなみに『大王』の一族には、貢ぎ物をしたり、お手伝いをする『名代・子代の民(なしろ・こしろのたみ)』もあてがわれた。
至れり尽くせり。
なんてったって、日本で最も高貴な一族やからね。
豪族の土地と民
当然ながら、豪族にも土地とそれに従事する民があてがわれた。
田荘
豪族に支給された土地を『田荘(たどころ)』という。
そのまま。
”田んぼのある場所”っていう意味。
部曲
その『田荘』を耕したのが『部曲(かきべ)』。
ほら、ここも”部”の字が使われてる。
日本では古来から、身分の高い人々の支配下に置かれて何かに従事する人々のことを『部』と表現した。
まとめ
初めて”組織編”って一記事にするくらい、ちゃんとした組織が作られ始めた古墳時代。
とはいっても、まだまだ手探り感が否めないし、基本豪族任せ。
まあ法律も厩戸皇子の登場までないし、戸籍もないし、これからって感じやね。
次回の組織編は奈良時代。本格的な律令体制が構築される。