ヤマト政権の成立
弥生時代後半に、西日本の色んな所でクニが生まれて、争いが続いた。
そんな中、強大な力を持った政治連合が誕生する。
ヤマト政権だ。
政治連合ってのはつまり、一つのクニが周りのクニを倒して飲み込んでいったというよりも、
色んなクニが集まって、「争いやめようぜ~!」って作った政治的なつながり。
国際連合みたいな感じ…?

ちがうか。
前章【邪馬台国、興る】弥生時代 ~後編~でもやった通り、
弥生時代の終わりごろには、邪馬台国って強いクニができていたわけやから、
『邪馬台国・畿内説』で考えたら、この邪馬台国を中心に色んなクニが集まって、ヤマト政権が作られたとも考えられる。
まあこれは憶測の域を超えへんのやけど、その方が、しっくりくるやん?笑
それに、
邪馬台国…ヤマタイコク…ヤマトコク…ヤマト…!!
って連想できるやん?笑
まあ妄想でしかないんやけど…
そんなヤマト政権が成立したであろう、4世紀のお話をしていくんやけど、
まずは、日本の歴史とは切っても切れない、朝鮮半島との関係について解説していく。
4世紀の朝鮮半島
当時の朝鮮半島は、こんな感じで分裂していた。

っていうのも、当時、大陸には『晋』っていう、
みんな大好き三国時代を終わらせた王朝があったんやけど、
北の方から遊牧民、つまり馬とか羊とかを遊牧してた民族が攻めてきて倒されてしまった。

んで、その混乱に乗じて、朝鮮半島でも「大陸の支配から独立してやる~!」って、3つの国ができたわけ。
『漢書』地理志に載ってた”楽浪郡”をつぶして『高句麗』が、
”馬韓”って呼ばれてた、朝鮮半島西部に『百済』が、
”辰韓”って呼ばれてた、朝鮮半島東部に『新羅』が、
それぞれ誕生した。
もう一つ、色んな小さな国の集まりである『弁韓』が、『百済』と『新羅』の間、”伽耶”って呼ばれる地域に存在してた。
この”馬韓”、”辰韓”、”弁韓”の3つを合わせて『三韓』っていうんやけど、まあ細かいことはいいや。
大陸で三国時代が終わったと思ったら、
今度は朝鮮半島に、『高句麗』『百済』『新羅』の三国時代が来たってわけ。
倭の朝鮮半島進出
そんなドンパチな朝鮮半島と、ヤマト政権がどう関わったかっていうと、
三国のどこにも属してない、『弁韓』。
この小国の集まりに目を付けた。
弥生時代が訪れた2つの要因ってなんやったっけ?
憶えてない人は、【米作り、始まる】弥生時代 ~前編~を見てほしい。
- 金属器
- 米作り
この2つがもたらされたことで、新しい時代を迎えて、
そのせいか、そのおかげか、クニが誕生していった。
つまり、クニを作るには金属器、特に鉄器が必要なんやね。
ってことで、今も昔も資源に乏しい日本は、その”鉄”を求めて、この『弁韓』に進出したってわけ。

このヤマト政権の朝鮮半島進出は、
『高句麗』にある、『好太王碑文』に記されてる。

これはまあ、よく入試で聞かれるから、頭の片隅にでも置いておいてほしい。
ちなみに、この碑文によれば、ヤマト政権は高句麗と戦って敗けたらしい…
まあ、仮にも大陸側の国やしね…
文化レベルも何もかもが天と地の差よ…
そうやって朝鮮半島に進出し始めたヤマト政権やけど、
もちろんこれまで同様、大陸の王朝に朝貢してる。
つまりはまあ、舎弟にしてもらってるってことやね。
倭の五王
そんな大陸の王朝の舎弟にしてもらおうとした、ヤマト政権の5人の王さんについて解説していく。
なんか言い方があれやな…
『宋書』倭国伝
『晋』王朝が遊牧民族に倒されて、大陸では北と南に王朝が1つずつ存在する、『南北朝時代』ってのが始まった。

そのうち、南側の『宋』って王朝にヤマト政権は朝貢した。
この『宋』ってややこしいのが、500年後くらいにも、同じ字で『宋』って王朝が誕生するんよ…
せめて違う字にしてくれって感じよな…
んで、その『宋』に朝貢したから、朝貢してきた王の名前が『宋書』倭国伝に記されている。
その王5人を総称して、『倭の五王』ってわけ。
5人の王は、それぞれ『讃』、『珍』、『済』、『興』、『武』って漢字で倭国伝には記されている。
『珍』ってひどない?
「おまえは珍しい奴だな~」って言われたんかな?
まあ当時の宋語?やと意味が違うんかもしれんけど…
ちなみにこのヤマト政権、ただ日本史の途中に現れただけのもんやなくて、
後の朝廷、つまり現在の皇室にまで繋がってると言われる政治組織。
やから、この五王もそれぞれいわゆる天皇陛下。

散々恐れ多いこと言ってしまったけど…
ただ、あまりにも古すぎて、しかもまだ当時の日本には歴史書が存在していないから、
正確に、“この王はこの天皇”っていえるのは、3人だけ。
『済』は允恭天皇。
『興』は安康天皇。
『武』は雄略天皇。
(『興』は安康天皇の”康”から来てるのかな?読み方一緒やし…)
中でも有名な王、『武』について解説する。
倭王『武』
『倭の五王』の中で最もテストに出る()王である『武』。
この『武』は『雄略天皇』のことを指すって言われてる。
雄略天皇は、『宋』の順帝って皇帝に朝貢した。
その時に、『六国諸軍事安東大将軍倭王』っていう、大層な称号をもらったんやけど、
「六国の軍の事とか、そういうの任せたよ!東の方を安定させておくれ!将軍に任命してあげるから!ね、倭王さん!」って感じ。
ちなみに、雄略天皇自身は”七国”ってお願いをしたらしいんやけど、認めてもらえんかってんて。
その除かれた1国は百済。
まあ朝鮮三国のうちの高句麗に敗けちゃってるからね…
その三国の一つである百済は任せてはもらえんよ…
世知辛い。
とまあ、大陸の王朝から後ろ盾をもらったヤマト政権は、日本では無敵。
大陸の王朝には「舎弟になります!」って言ったけど、国内の他の勢力は舎弟にしていった。
(舎弟って表現はどうかとは思うけど…)
その証拠に、
埼玉県にある稲荷山古墳から『獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)』って刻まれた鉄剣が見つかった。

たぶん、埼玉あたりの豪族が雄略天皇の舎弟になったんかな?
んで、鉄剣もらったんかな?
それか献上しようとしたんかな?
どちらにせよ、鉄って何度も言うように国作りに必須アイテムやから、
そんな貴重なもの、しかも名前が刻まれてるものが出土したってことは、
埼玉にもヤマト政権の力が及んでたって証拠になるね。
まとめ
大陸には相変わらずペコペコしてるけど、国内には強大な支配力を持ったヤマト政権。
ほんの数百年~千年前までは『狩猟・漁労・採集』って生活をしてたとは思えないほどの進化の速さ。
これからは政治のドロドロした話とか、血なまぐさい話とか、
そんな“人間的な、あまりに人間的な”、ニーチェな時代がやってくる。
(ちょっと意味わからん)
まあ、筆者はその方が好きなんやけどね…人間臭いドロドロした話…
後編では、そのヤマト政権がどのように後の朝廷に繋がっていくかを解説していく。
ヤマト政権の政治組織についても別記事で。