古代 大学受験 弥生時代 日本史

【米作り、始まる】弥生時代 ~前編~

弥生文化の成立

 

今から約2300年ほど昔。

縄文時代が終わり、新しい時代、弥生時代がやってきた。

 

なんで縄文時代が終わったかって?

縄文人が築いてきた文化とは異質の、全く新しい技術がもたらされたから。

 

どこからもたらされたかって?

それはもちろん、大陸から。

 

大陸からやってきた渡来人

当時、大陸には『秦』とか『漢(前漢)』といった国家が形成されていった。

そう、『キングダム』の舞台である、あの『秦』。

 

一方日本列島では、やっとこさ文化が形成されて、宗教的な思想も生まれて…みたいな状態。

『キングダム』に描かれているような“国家”だとか、あんな大規模な戦争だとか、当然いまだに文字すらない。

筆者としては、どうやってコミュニケーションをとっていたのか、興味をそそられるところではあるが。

 

まあ、そんな文化生まれたての土地に、文化が発展している土地から人が渡ってきたわけやから、当然何も起こらないわけがない。

新しい文化の形成だ。

 

この時代に渡来人からもたらされたものは、具体的には

  • 金属器
  • 米作り

の2点。

 

そう、たったの2点。

でもこの2点で、時代は恐ろしいほど進む。

どう進むかは、後の章で解説する。

 

北海道では続縄文化

約2300年前に弥生時代が始まったって言ったところやけど、それは西日本だけ。

 

っていうのも、大陸からの渡来人がやってきて新しい文化が成立したわけやけど、

あなたが大陸から日本列島に渡ろうとすると、どこから来るのが一番楽やと思う?

 

当然、エンジン付きの旅客船も、飛行機もあるわけがない。

あるのは、木製の頼りない船だけ。

 

日本海沿岸に住んでる人ならわかると思うけど、とてもやないけど、あの荒れた海を長い距離渡ることはできない。

できる限り短い距離で渡りたい。

やから、当時の人たちは朝鮮半島経由で、北九州に上陸したと考えられている。

まあ、ほかに選択肢はないよね。

 

その上、当時にはもちろんネットなんて便利なものも存在しない。

ってなわけで、新しい文化は主に西日本にしか広がらなかった。

 

日本最北端の地方、北海道では依然として縄文文化が続いた。

いつの時代も、地方は置いてけぼり…

 

南西諸島では貝塚文化

もちろん、地方の置いてけぼりは北だけではない。

南の島々にも新しい文化は到達してはいない。

 

島で発展してる文化やから、独自の発展はしてるものの、基本的には釣りや採集を中心とした文化。

それで貝塚文化。 

九州の縄文文化の影響を受けた、この“ほぼ縄文文化”が続いていた。

ちなみに、この貝塚文化は平安時代が終わるころまで続いたみたい。

 

金属器の到来

 

では、弥生文化について解説していこう。

 

弥生時代の2大特徴の一つ。金属器。

縄文時代の土器を見てもわかる通り、土器ですらモロいもんしか作れへんのやから、これまでの弱々しい火力では金属を加工することなんて到底不可能。

やからずっと石と木と土で頑張ってきた。

 

そこに渡来人が現れる。

彼らは『キングダム』を見てもわかる通り、精巧な武器すら作れてしまう文化力だ。

  

ってなわけで、その圧倒的な文化力の輸入で、強い火力の確保に成功した。

金属の加工が可能になる。

 

どんな金属がもたらされたかというと、

  • 青銅器
  • 鉄器

あとは、ガラス器ももたらされたけど、特に聞かれることはないから、あ~ガラスも来たんやな~くらいでOK。

しかもガラスは金属ではないからね…

 

青銅器

青銅器は、読んで字のごとく、青銅でできた金属器。

ちなみに青銅は銅とスズの合金。

元素記号でいうと、CuとSnの合金。

 

青銅って言っても、元々青いわけではない。

青銅は英語でブロンズ。

サックスとか金管楽器の材料にも使われてるし、10円玉の原材料でもある。

青いサックスって見たことある?

見ての通り、元々は金ピカ。

それが錆びたときに、青く変色するから青銅。

長い年月、土の中で保存されてたせいで、土の水分やら何やらかんやらで酸化されて錆びたんやね。

 

元々はそんな金ピカのキレイな金属やから、青銅器は祭祀、つまり神さまをお祭りする行事に使われたり、権力者の権威を示すために用いられた。

 

銅鐸

銅鐸は、青銅で作られた鐘。

こんな形したものが、金ピカで置かれていたら、わぁ~すげぇ~ってなるよね。

銅鐸は主に近畿地方で多く発掘されている。

 

平形銅剣

文字通り、平たい青銅の剣。

でもこれも青銅器やから、剣と言っても、戦いに使ったわけではない。

戦いの勝利を祈ったり、権力者の武力を誇示するために用いられた。

平形銅剣は主に瀬戸内海の中部で多く発掘されている。

 

細形銅剣

これも文字通り、細い青銅の剣。

使い道は平形銅剣と同じ。

平形銅剣は主に北九州で多く発掘されている。

 

銅矛・銅戈

矛も戈も訓読みしたら、どちらも『ほこ』。

でももちろん形も違うわけやけど、木へのくっつけ方が違う。(くっつけ方て…)

 

銅矛がこうで、

銅戈がこう。

どちらもやはり青銅器やから、武器としてではなく、お祭りや権威の誇示に用いられた。

どちらも主に北九州で多く発掘されている。

 

鉄器

金属を加工する技術も火力もない時代、道具のメインは石と木。

そんな原始的な時代から、渡来人がもたらした技術のおかげで、鉄器が生産されるようになった。

 

青銅器とはうって変わって、鉄器は実際に生活の中で使う農具や工具に用いられた。

農具の説明は後の章で確認してほしい。

 

でも鉄器が農具や工具に本格的に用いられ始めたのは、弥生時代後期になってから。

渡来人が技術をもたらしたとはいえ、実用化するにはやっぱり時間がかかるんやね。

 

水稲耕作

 

米作りの始まり

弥生時代の2代特徴のもう一つ、米作りの始まり。

 

【土器、現る】縄文時代 でも言った通り、これまでの食生活はもっぱら、『狩猟・漁労・採集』。

移住を繰り返しながら、その日食べる分を自然に存在しているものから獲得する生活。

 

そんな不安定な暮らしから一変する。

食物を自分たちの手で育てて、実がなったら収穫する。

完全にとまではいかないが、今までに比べて安定した食料の確保が可能になった。

 

といっても、まだ米作りも始まったばかり。

現代の稲作に比べたらものすごく原始的。

もみ殻がついたままのお米を、田んぼに直に撒いて、稲が実ったら実がついてる部分を刈り取るってやり方。

 

現代は稲を田んぼに植える、田植えをやってるよね。

 

ちなみに、米作りが始まった当初の田んぼは湿田。

田んぼがず~っと湿っている状態。

田んぼが呼吸できないから、弥生時代後期になると乾田に変わっていった。

 

乾田っていっても、乾いた田んぼで稲を育てるわけやないから注意。

植物を育てるのに水は不可欠やからね。

稲が実った後に水を抜ける、臨機応変な田んぼのことを乾田っていう。

現代の水田は全部乾田。

 

農具

米作りが始まると、農具が必要になる。

さっきも言った通り、渡来人が金属加工の技術をもたらしたとはいえ、鉄製の農具はすぐには量産できない。

弥生時代の前期は木製の道具が用いられた。

弥生時代後期になると、鉄を先っぽにつけた農具になっていく。

 

石包丁

木製と言いながら、最初に紹介するのは石包丁。

もちろん石製。

この石包丁で稲の穂の部分、実がなっている部分を切って収穫していた。

いわゆる、穂首狩り。

弥生時代後期になると、鉄の農具が用いられるようになって、鉄鎌なんて便利な道具ができたから、それで根元から刈り取る根刈りが行われるようになった。

 

田下駄

稲が実るまでは、田んぼには水が張られている。

土はどろどろ。

足がのめりこんで、とてもやないけど歩くことはできない。

そこで彼らは田下駄を履いて、のめりこむのを防いだ。

さながら、水の上を歩く忍者みたいやね。

弥生人、かしこすぎ…

 

物理を習ったことのない人のために、圧力の大きさは表面積の大きさに反比例する。

つまり、表面積が大きいほど、その表面の部分部分にかかる力は弱まる。

そうすると、足がどろどろになった土にのめりこまずに済むってわけ。

そういうわけで彼らは、足の裏よりも広くなるようなものを履いて田んぼの上を歩いた。

 

大足

田下駄と違って、隙間だらけ。

こうすることで、足の裏よりも大きな表面積を獲得しつつ、それでいてしっかり沈み込む。

肥料を田んぼに踏み込むために用いられた。

 

木鍬・木鋤

田んぼを耕す鍬も、田んぼの土に空気を含ませるための鋤も、もちろん前期は木製。

 

木臼・堅杵

穂を刈って収穫したところで、そのままでは食べられない。

籾がお米の周りを覆ってるからね。

そこで、脱穀っていう作業をして、籾の中から米粒を取り出さなきゃいけない。

その脱穀で使うのが、臼と杵。

すりつぶすことで、中からお米を取り出す。

もちろん、木製。

 

田舟

田下駄を履いて、稲や土を背負って運ぶのってしんどいやん?

やから弥生人は田舟を作って湿田の上に浮かべて色々運んだ。

 

高床倉庫

”道具”ではないけど、米作りが始まって、その収穫した稲を保存しておく倉庫が必要になってくる。

『狩猟・漁労・採集』みたいに、毎日収穫できるわけではないからね。

次の年まで取っておかなければならない。

 

そこで、高床倉庫が現れる。

もちろん、倉庫やったら何でもいいわけではない。

お米を保存しておくと、色々問題が出てくるからね。

 

例えば湿気。

じめじめした場所にお米を置いておくと、腐敗がすすむ。

カビが生えたり、虫が湧いたり。

やから床を高くして、下側に風が通るようにした。

通気性、大事。

 

他にはネズミ返しなんかも加えられた。

お米は人間だけやなくて、ネズミとか色んな生物の好物。

ネズミが中に入ってこれないように、跳ね返せる機能を付け加えた。

  

弥生土器

 

弥生土器はいたってシンプル。

生活に必要な形状は、もうすでに縄文時代後期以降、ある程度固まってきてるからね。

 

縄文時代と大きく異なるのは、その焼き方。

渡来人によって金属器がもたらされたって話したけど、それを加工する技術も当然もたらされた。

つまり金属を加工できるほどの火を獲得したってこと。

 

縄文土器は火力が弱いせいで、黒褐色でもろく、そのせいで厚くしなくちゃいけない、っていう特徴があった。

火力の問題が改善されたおかげで、弥生土器の見た目は縄文土器のそれとは大きく異なる。

弥生土器は、高温で焼かれるから、赤褐色で硬いし、そのおかげで薄い土器を作ることができるようになった。

 

貯蔵するための『壺』とか、

煮炊きするための『甕』とか、

盛り付けるための『高坏』とか、

食べ物を蒸すための『甑(こしき)』とか、

甕とどう違うねん!

 

甕と違うのは、断面を見ればわかる。

甑は下に蒸気が通る用の穴が開いてる。

甕に水を入れて、その上にこの甑を乗っけて、甕を下から火にかける。

そしたら下から蒸気が上がってきて、中の食べ物が蒸されるって仕組み。

こんな風に用途に応じて作られた。

 

集落の形成

 

ところで縄文人と弥生人、どっちのほうが好戦的やと思う?

 

大半の人が、縄文人って答えるんやないかな。

知らんけど。

やっぱ狩りのイメージが強い…のかな?

 

でも実際は、弥生時代になると戦争と呼べるような、大規模の戦いが起きている。

理由は明確。

縄文時代にはなくて、弥生時代にできたもの。

 

『土地』。

 

米作りが始まって、特定の土地に定着するようになった。

米作りに適した土地もあれば、適さない土地もある。

広い土地を持っている人に嫉妬する人も出てくる。

 

そして戦いが起こる。

 

人間の性やね。

2000年経っても、ちっとも変わらない。

 

それから米作りは重労働やし、一人ではなかなかしんどいから、みんなでまとまって暮らすようになる。

そして“集落”が誕生する。

 

集落が生まれると、その集落を守らなければならない。

人々は周囲に溝を張り巡らせた。

城のお堀みたいなもんやね。

周りにお堀を張り巡らせた集落やから、『環濠集落』。

環は周り、濠は堀って意味。

 

他に集落を守る手段としては、高い場所に集落を作るってこととか。

山の頂上とか丘の上に集落が作られた。

『高地性集落』という。

 

こんな感じで、『土地』って考え方が生まれたせいで、戦争が頻発した。

 

人間って怖い。

 

埋葬

 

伸展葬

埋葬方法も、縄文時代から一変した。

一番特徴的なのは、『伸展葬』。

 

縄文時代は、死者の生まれ変わりを祈って『屈葬』って方法で埋葬したよね。

弥生時代では反対に、身体を曲げずに、寝た姿勢のままで埋葬した。

安らかに眠ってほしいっていう願いやったのかな?

 

まあ…戦争が頻発する世の中やとね…

 

墓の種類

墓の種類なんて憶えてられるか~!なんて言わずに、代表的なものだけとりあえず、こんなんあるんやな~くらいでいいから知っておいてほしい。

 

甕棺墓

大きな甕を2つ作って、その中に安置して埋葬したお墓。

主に北九州に多い。

 

支石墓

めちゃくちゃ大きい石をいくつかの支石で支えるお墓。

これも主に北九州。

 

箱式石棺墓

石を組み合わせて箱状の棺にしたお墓。

西日本に多い。

 

方形周溝墓

四角く土を盛って、その頂上に穴を掘って埋葬するお墓。

一つの丘ごとに一家族を埋葬した。

近畿を中心に広がった。

 

まとめ

 

大陸からの渡来人の影響は絶大やった。

狩猟メインの生活から一変して、”土地”って概念が生まれて、戦争が起こる。

 

渡来人のおかげで文化が発展して時代が進んでいくんやけど、渡来人のせいで大規模な戦争が起こるようになったのはなんか複雑。

技術がもたらされなくても、人が増えればいつかは戦争が起こるようになってたんかもしれんけど…

 

弥生時代前編では、金属器と水稲耕作の到来による社会変化を解説した。

弥生時代後編ではいよいよ、集落が大規模化してクニの成立、そして邪馬台国の出現。

やっと、文字に残された『歴史』が始まる。

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